夢の途中ブログ

プライドの柔らかいところを

産婦人科という地獄

産婦人科に通っている。




とだけ言って、聞き手の顔色がどのように変化するのか観察するのは趣味の一つだ。



2年前皮膚科の先生に「あなた首が太いわね」と言われ、一度検査を受けることを勧められた。



いや、どういう喧嘩の売り方?


と思ったものの調べてみると病気だということがわかった。医者というのはすごい。天才かよ。


今のところ”人より首が太い”以外の症状は出ていないが、放置するとなんか大変なことになるらしい。

チョーカーを付けるときちょっとグエッとするかな?と思ってたものの、今まで自分の首が太いと思ったこともなかった。別に太いのは首だけではないのである。

それがどうして産婦人科で定期診察してもらうことに繋がるのか、と聞かれても「産婦人科で診察してもらえ」と言われたからだ。
首科がないから仕方ないのかもしれない。






このとき、私は事態の深刻さを理解していなかった。





親切な妖精「このブログは闘病ブログではないよ♪安心して読んでね♪」




そもそも産婦人科というのは学生の診察を前提としていない。
うちの近くの産婦人科だけかもしれないが、16時には診察終了。週末は休診ときた。やる気あんのか?やる気はあんのかって。どうすんだよ、赤ちゃんは16時以降も生まれんだろうが。




学校から急いで帰ってギリ16時に間に合うレベルだった。もちろん着替える時間もなく、急行に乗って走って産婦人科に向かう。

私は何をやっているんだろうか。
こんなことをするために生まれたんだろうか。
17歳というのは一体何だったのだろうか。
首の太い17歳高校生、初恋はフルハウスジェシーと言ってるけど本当はパペットマペット。彼氏募集中です。



初めて行ったときは本当にびっくりした。



あまりにも周囲の視線がキツい。

制服で産婦人科の”腹にいる方”の待合室にいるのは相当目立つものだ。


不妊治療中の方への考慮のため”腹にいる方””いない方”で待合室が分かれている。当然私はいるかいないかで言えば”いない”のだが、不妊治療ではないので”いる方”に案内される。マジ意味わかんなくね?)




産婦人科でこういうこと言うのダメかもしんないけど、シンプルに地獄。
えー産婦人科って地獄だったのー!?意外~www




もうだめだこれ絶対堕ろすと思われてる。

最悪。女だらけの学校で真面目にやってきたのに、今完全に堕ろしにきた女なのである。こんな仕打ちはない。挙句首が太い。

明らかに顔をしかめられる。「縁起の悪いものを見る目」で見られる。そりゃそうだ。ここ”いる方”の待合だもんな。

初回の診察はそうこうしてるうちに名前が呼ばれて、「え???間違ってない?注射初心者???」って思いながら腕の関節から血を抜かれた。腕の関節から抜く血と二の腕から抜く血は違うの?そういう趣向なだけ?




結果として、月一回通うことが決まった。
これは何か対策を練らなければいけない。私は何もせず地獄を受容するか弱い女ではないのだから。


まぁ基礎中の基礎だが、チャラくてはいけない。


処女オーラは元から出てると思っていたものの、”いる方”待合室のフィルターにかかれば天然の処女オーラでは足りないらしい。


黒髪(これは元から)眼鏡(これも標準装備)パンパンの鞄、マスク、スカート膝下、手には英単語帳と文庫本。(文庫本は熟考の末、梶井基次郎檸檬を持っていった)

完璧だと思われた。
いや実際完璧ではあった。





診察二回目。


名前が呼ばれ、立ち上がった瞬間に

「やっぱりそうよね…」
「多分そうよ…かわいそう」

おばさまたちの声が聞こえる。


あ~、たぶんね、自意識過剰なんだと思うわ。もう聴覚ビンビンだったからさ、多分、多分考え過ぎなんだけど。



これ、強姦被害者だと思われてんな?



その日は腕の関節から抜いた血の検査結果を渡されただけでした。郵送しろそんなもん。

診察室を出て待合室に戻るとまだあのおばさまたちがいる。貴女たちこそ何しに来たんだ。帰ってくれ。


もういよいよ耐えるしかないと思って会計を待つ。永遠とも思える時間を読書でやり過ごす。

言っておくが、ここでスマホをいじってはすべての努力が無駄である。
”小さな命を殺しておいて平気でツムツムをやってる女”だと思われたくない。それだけは無理。

ようやく名前が呼ばれ、もうこの病院から出られると思ったところで




「ピルのほうが出てます」


ピルの方が出てますじゃないよ。誰もそんなん頼んでないんだよ。勝手に出るんじゃないよ。声がでかいんだよ。ばか。


(ピルには避妊目的だけでなく、女性ホルモンを整える働きがあるらしい。)


もう誰の目も見たくなくて、ピルの箱に描いてある目の死んだハリネズミの絵をずっと見ていた。






これが2年前の話である。

それから色々あり、院内報(壁新聞みたいなもの)でコラムを書かせてもらうなど本当に色々あった。

2年もあれば通い始めた頃はまだお腹の中にいた子が、生まれ、お母さんがその子を連れて二人目の検診に来たりする。その間わたしはずっと首を診せていた。


ずいぶん病状は快方に向かい、先日「受験もあることだし一旦診察は中断しましょう」と言われた。


しんどいだけの診察だったが、社会の厳しさ、命の尊さ、自意識を鎮める方法、子どもを授かる奇跡…色々なことを学べた2年間だった。





「泥餅さーん、ピルの方が出てます!」

この声の大きさも、2年間変わることなかった。もはや愛しくさえある。

またここに来るときは、新しい命と一緒かもしれない。そんな晴れやかな気持ちで病院を出た。






「えっ、泥餅ちゃん今産婦人科から出てきた?」

だが、病院を出ても油断はできない。