ギャルへの執拗なリスペクト
高3の女子高校生には2種類しかない。
ギャルとギャルになれなかった女
この2種類しかない。
ならなかったのではなく、なれなかったのだ。
高3でこれからギャルになる人はいない。
高校を卒業してからパリピになろうが、髪を染めようが、それはもう“そういう人”なのだ。
高校時代にギャルになれなかった女は、それからずっとギャルになれなかった女の人生を歩む。
そして、私はギャルになれなかった。
こんな大げさに発表することではない。
だってギャルははてブをやらない。
賭けてもいい。はてブユーザーにギャルは1人もいない。
ギャルはもっと私が知らないようなSNSをやってる。
私の言うギャルとはそこらのキラキラJKのことじゃない。
ギャルは髪は脱色して、高校は校則のあるような無いような美容系とかに行ってて、湧きどころのわからない金を持っている。そういう生き物のことである。可愛いとエロいと汚いのせめぎ合い。それがギャル。
私はギャルになりたかった。
ギャルになりたくて、ただ勇気がなくて、ここまで来てしまった。
もう私はギャルになれない。
そのことが悲しくて、悔しくて、この間本当に泣いた。
メンヘラもびっくりの情緒で生きている受験生だから、深夜2時に号泣した。
私はもうギャルになれない。
中学受験はよく「両親が無理やり勉強をさせて、子どもは操り人形のように塾に通う」的な描写をされる。
でも私は中学受験をしたことに後悔はない。
そのせいで性格が歪んだとしても、私は小3の頃自分で塾のパンフを見て受験がしたいと親に訴えた。
中学時代アイドルやお笑いのライブに行きまくれたのは中学受験をしたおかげだし後悔は全くない。
だが、気づけばそこで既に私はギャルにならない人生へと駒を進めていた。
それでもギャルになるチャンスはあった。
中2の頃退学した友達のLINEアイコンは最近自撮りに変わっていた。金髪だった。
宝塚に入団したいから、という退学理由はどこまで本気だったのかわからない。
結局私は退学をする勇気もなく、かと言ってマジメに勉強するわけでもなく。そのうちに高3になって、大学は行こうと思ってたから受験することになった。
別に後悔してるってほどじゃない。
ギャルになってたら経験できなかったこともあっただろうと思う。
でも
ギャルは本当に楽しそうだ。
すれ違うギャルが大声で笑ってる。通行人が顔をしかめる。
そんなことも気にせずギャルは通り過ぎていく。
私の存在など視界に入れることもなく。入ったとしても、なんかダセェのがいるなくらいにしか思わないだろう。
私は人間としてギャルに負けている。
毎日毎日「明日こそ染める」と思ってた髪は黒いままだし、バイトの一つもしたことがない。
レジの打ち方はわからないし、男性と付き合ったこともない。
ギャルを嘲笑う友人たちよ
勉強に励む受験生よ
私はまたこんなブログを書いて時間を無駄にした。
大した話でもないのにダラダラ書いて、君たちが英単語を覚える時間で私はこのブログを書いた。
これが、
ギャルになれなかった女の遠吠えだ。
そして気づいて欲しい。
君もまた、ギャルになれなかった出来損ないの人間であることに。
その黒髪の重さに耐えきれず潰れてしまえ。
ペンを持つのに適さない爪に憧れてしまえ。