夢の途中ブログ

プライドの柔らかいところを

せんせい、あのね、

現文で半年かけて漱石の「こころ」をやっている。
私だったら自分の小説を半年もかけて解説されたら気が狂うな、と思うが私は漱石ではないので神妙な顔をしてノートを取ったり、神妙な顔をしてノートを取るポーズのまま寝たりしている。

半年も読んでいるのだから、私も自分と「先生」の話を書いてみようと思う。
あと「こころ」の話はこのブログを書くために無理矢理考えた前置きでしかないので忘れて。半年とか盛ってるし。4ヶ月だし。


私が先生に出会ったのは中学2年生の時だった。まだ「現文」「古典」ではなく「国語」と呼んでいたその教科の担任だった。

内巻きボブに清楚な服装。うちの学校は女子校というだけでお嬢様要素はほぼ無いのだが、先生から溢れる"育ちの良さ"はまさにお嬢様学校の先生然としていた。

めちゃめちゃ字が綺麗で、教え方も言葉遣いも丁寧。私たちはすぐ先生が好きになった。

私は何より先生の匂いが好きだった。
授業中先生が教室を歩き回るたび甘い香水の匂いがした。匂いがキツすぎると言う子もいたけど、中2の私はそれがとても色っぽく感じられて好きだった。


1年後、「国語」は解体され先生は私のクラスで「古典」の担当になった。
そして中3になった私は放課後の渋谷でたまたま先生を見つけることになる。

通常ならば受験生だが、中高一貫校に通う私はすっかりだらけて放課後よくライブに行っていた。

渋谷でお笑いライブを観た帰りだった(若手の漫才を見るために渋谷に足繁く通う女はろくでもない)


先生、と最初気づかなかった。

整った内巻きをガシガシ掻きむしりながら煙草を吸い、片手に缶ビールを持って歩く姿は陳腐な言い方だが、別人だった。

先生のマスカラとアイシャドウがぐずぐずになった目と目があった。私服に着替えているとはいえ先生は私に気づいたはずだったが、そのまま通り過ぎて渋谷の夜に消えていった。


それから私は先生が大好きになった。

そのうち昼休み外で喫煙してることが生徒に見つかって、煙草を毛嫌いする一部に先生は嫌われ始めた。
あの香水も煙草の匂いを消すためのもので、時々かすれる声は酒やけによるものだと噂が立った。

私はそんなことはみんなより先に知っていたし、実際先生が煙草もアルコールも嗜む姿を見ていた。

よく先生に挨拶をしたが、あの日以来挨拶は軽く無視されるようになった。先生は他の子には今まで通り挨拶を返していて、私は優越感を覚えた。

「先生」は先生として生まれてくるのではなく一人の人間だという当たり前なことをあの頃、私はようやく知った気がする。

先生はみんなからどんどん嫌われているらしかった。
普通の学校だと思っていたが、やっぱりどこかお嬢様気質なところがあったのかもしれない。女の先生、煙草、お酒、その組み合わせを受け付けない生徒たち。
タトゥーが入ってるとか、元ヤンキーとかそんな噂も聞いた。
先生を汚いもののように見るみんなが心底つまんなかった。あと、タトゥーが入ってるとしたらもっと好きになっちゃうなと思った。

私はよく先生に質問をしに行った。先生は私に教えるときは板書とは似ても似つかない小学生みたいな丸文字を書いた。
「ほんとはこういう字なんだよね」と言うので、先生が丸文字を書いた裏紙は全部大切に保管した。

先生は一対一で話すといつもより口が悪くなったし、昔の話もよくしてくれた。うちの学校に来る前は男子校にいて、嫌がらせを受けていたらしいこと(最前列の男子高校生が上履きに鏡をつけてスカートの中を見ようとしたという話が衝撃的だった)
男性不信になっていたとき助けてくれた同僚と結婚したこと。保育園に通う娘のこと。


先生になるために生まれてきたわけではないけど頑張って先生をする、私はそんな先生が好きだった。




先生はその年の冬、学校から救急車で運ばれた。育児と勤務による過度の疲労で先生は倒れたらしい。
その辺はよくわからない。でもみんながそうだと言っていた。

私は高校生になり、先生は学校に戻ってきた。古典も現文も違う先生が担当になった。
私は先生に挨拶を返してもらえるようになった。先生はもう昼休みに煙草を吸わない。すれ違ってもきつい香水の匂いはしない。

先生は、きれいに先生になった。
私はそれが今でも悔しい。


このブログをノートにメモしていたら現文の担当に指名された。Kの死因についての授業はまだまだ続く。