嘲笑のオカズにされる部活、引退
こんにちは!泥餅ですっ!!!
先日、このブログにて紹介していただいた。
いつも読んでいるブログだったので、本当にびっくりしました。
更新を望んでくれてる方もいるのか、と思うと頑張らねばと身が引き締まります。そろそろ受験生になるので頻度は下がると思いますが、続けてはいきますので何卒……。
「作者名があまり出てない」と書かれてます。確かにプロフィール欄にしか書いてないですね。
泥餅という名前になんのこだわりもないし、毎回「こんにちは泥餅です」って書くのはなんかほらアレじゃないですか…。YouTuberみたいじゃないですか(YouTuberへの悪意は無いものとする)
そして上のブログでも紹介された部活について書いた回。これがうちのブログで最も読まれてる記事です。
先月、引退してきました。
「引退させろ」が口癖だったものの、辞めてしまうとやはり寂しいものです。もう一生「小説を書かなくてはいけない」なんていう義務が発生することもないでしょう。
そうなると小説なんてもう書かないだろうな、とも思います。それはなんだか寂しいですね。自分の凡人っぷりに苛立ったり他人と比べていた時期は苦しみましたが、才能がないことを認めてからはずいぶん楽しくなりました。中高合わせて超短編から中編までざっと90作くらい書いてきたようです。文化祭で配ったもの、部員にしか見せていないもの、文学賞に応募したもの、酷評されたもの、評価されたもの。それら全部が私は好きです。
そんなわけで今回は、僭越ながら中高時代を文芸部で過ごした身として「小説の書き方」を書いていこうと思います。
いや、違うな…
「才能があると思われたい高校生のための小説の書き方」です!!!
以下このような方にオススメ☆
□もう中学生みたいな痛い小説は書きたくない
□「ある」を「或る」、「なぜ」を「何故」と書くことで演出される文学っぽさに限界を感じている
□言葉のセンスがあると思われたい
それではまず、読者が高校生の小説を読もうと思ったとき求めるものをまとめます。ここを自覚することが重要です。
【読者が高校生以下の場合】
・憧れ
・自分が持たざる何かを持っているか
・自分の予想できない何か
この層はだいぶ漠然としていますね。相手が読書家か否かなど色々な場合が考えられますが、まずは構成で驚かせるなどするのが手っ取り早いでしょう。
【読者が自分より年上の場合】
・自分が想像する"高校生の小説"を超えてくるか
・言葉の使い方が自分より優れているかどうか
・痛いか否か
大人はカス。
こちらのほうが手強いです。少しでも「厨ニ病認定」が下ればTwitterなどで晒されて1000RT稼ぎに使われかねません。文化祭などで配布する際それはもはや覚悟の上ですが、できることなら自分が一生懸命書いた小説を1000RTに変えられたくはないですよね。
鼻で笑ってやろうという状態から読み始める読者をいかにして攻略するか、「私が高校生の頃こんなこと考えられなかったよう!」と思わせるかが重要ですね。
そして以上を踏まえ私が考えたポイントが3つです。
その一
生死に敏感であれ
生と死に敏感であること、いやもっと言えば敏感さを装うことです。
例えば、太陽が沈むことを形容する場合。
「太陽が沈んでいく」と書いてしまうのは凡人ですね。いや凡人なんですよ私たちは。でもこの意識は一度捨てましょう。私は天才、天才になるの、はい。精一杯"死"に敏感になって〜。
「太陽が死んでいく」
どうでしょう。
たしかに小手先さは出てる。もう小指の先でチョンチョンやっただけだなって感じはする。
だけど、これなんです。文中で上手くこれを使うことによって「この子は沈む太陽を死んでいくと捉えているのね!人と違うわ!」ってなるんですね。なるんですよ。
他にも例えば自販機で買ったポカリスエットを表現するとき。「買ったばかりのポカリスエット」はい凡人。これを「生まれたばかりのポカリスエット」と言い換える。あとなぜか商品名は出さないほうが文学的なので「生まれたばかりのスポーツ飲料」のほうがいいかもしれません。
これが私が考えた、凡人なりに「人と違う視点」を演出する技法の一つです。
自分の過去の作品を見ると多用していた時期があります。あまりやりすぎると「病んでるのかな?」と思われるだけなので注意が必要です。
お手軽さ ★★★★☆
年下からの評価 ★★★☆☆
年上からの評価 ★★★★☆
使いまわし ★★★☆☆
漂うウザさ ★★★★☆
そのニ
作中作をやれ
読者を驚かせる展開、というのははっきりと読者から作者への敬意に繋がります。学生なら多くの場合言葉の表現より話の流れに注目して読んでいることでしょうし、構成さえしっかりしていればというところはあります。
ただ、そんな展開がすぐに思いつくならこっちはとっくに作家デビューでもして最年少直木賞作家にでもなっているという話。結局読んだ本の構成をギリギリバレない程度に模倣するのが凡人の末路。
そこで作中作です。演劇でも劇中劇という劇の中で劇をやる演出は度々見られるように、プロの小説でもたまにある構成です。
おそらく高校生の書く小説なら長くても中編程度だと思います。そこでしっかり作中作をやるのは不可能。
ただ、もう最後に「と書いて私は筆を置いた」とでもつけておけばいいのです。それだけで「えぇ!今までのはこの人の書いてた小説だったの!?」となる人がいることはいるんです。できれば事前になんらかの伏線を張っておくとなお良いですね。
通用するのは1〜2回が限度です。
お手軽さ ★★★☆☆
年下からの評価 ★★★★☆
年上からの評価 ★★☆☆☆
使いまわし ★☆☆☆☆
読者をナメてる度 ★★★★★
その三
私別にこの小説全力で書いたわけじゃありませんので感
キレないでキレないで!まあちょっと聞いて。
これは特にあとがきでの話なんだけど、中学生くらいの時ってやたらあとがき書いたじゃないですか。
「読了ありがとうございました!ってこんな小説最後まで読んだ人いんのかっww最後までこんな駄文を読まされた方、御愁傷様で〜す。なんの責任も取りませ〜ん」みたいな文章から始まってその後もダラダラこの小説が思いついたのはこういう時で〜とか。私はこういうのをかつて書いてたんですよ。
内容が興味深い場合は良いんですけど、ただ自分の文章への卑下とか大した意味もないタイトルの説明とかをされるともうげんなりしますよね。
もうそういうのをしない!!書き終わったあと不安になるのはわかるけどもうおとなしく終わる!!あとがき一文とかの方がかっこいいですよ。そこで「腹が減ったのでここらでお暇させてもらおう。」とか書くとまたアチャーってなるですけどね。私は今全部過去の愚行をもとに話してますからね。
お手軽さ ★★★★★
年下からの評価 ★★☆☆☆
年上からの評価 ★★★★☆
使いまわし ★★★★★
厨ニ病再発の危険性 ★★★★★
以上です!みんなも参考にして楽しい執筆ライフを送ってくれよな!!!
もう私には何も残っていません。
ただどこまでも広がる"虚"があるだけ。